宇宙世紀0093を境に、ナナイ・ミゲルはその名をメスタ・メスアと変えることになる。 そうさせた原因を作った人々の中には、ベルトーチカ・イルマの名があった。 だが、そんな母親たちの因縁とは裏腹に、彼らが繋いでいった命、それは同時にシャア・アズナブルとアムロ・レイの因子を受け継いでいるという皮肉的な運命を背負った命であるのだが、その二つの命はやがてミューラ・ミゲルという形で一つに帰結していく。 そのミューラの子、ウッソ・エヴィンは真奈美の血を引く少女、シャクティ・カリンとの関わりの仲でアムロとシャアの血を、"ガンダム"という伝説の白いMSとともに、再び宇宙(そら)に解き放つことになる。 それが、この先に綴られていく歴史であった。 無論、その事実をこの時代に知るものは誰一人としていないし、今のベルトーチカやナナイ、真奈美にとって何一つ関係ないことでもある。 だが同時に、人の運命というものが、かくも奇異に絡み合っているのだということを、その事実は指し示していもいた。 エヴィンという名字、それがラティオ・エヴィン、すなわち護と一緒であるというのは、もちろん偶然ではない。 護の血が、そこに繋がっていることを、それは示している。 そうであれば当然、護とともに血を繋いでいく、一人の女性の存在がある。 そしてその少女は今まさに、護の前に、いた。 第八話 『動き出す刻』 夏穂と一時の再会の後、ようやく護は約束の場所に訪れていた。 そこには、既に一人の少女の姿があった。 護が予想していた通りの、そしておそらく、心の底で望み続けていた、その姿が。 「若菜・・・」 それは小さな、小さな、呼びかけであった。 だが、護がそうであったように、誰よりもその再会を待ちわびていた少女のその耳には、その小さな呟きは確かに届いていた。 「護・・・さん・・・」 その声に振り返った少女は、目に涙を浮かべ、護の元に駆け寄ってきた。 そして、その身を護に預ける。 その少女−綾崎若菜−の体を優しく抱きとめると、護は乞う、呟いた。 「待たせたね。」 そのたった一言には、様々な、複雑な重みがあった。 「戦争なんて、なければ・・・」 護の胸に顔を埋めたまま、若菜はそう呟いた。 そう、戦争さえなかったら、こんな想いはせずに済んだはずである。 戦争さえなければ、何の問題もなく、自分はこの人と添い遂げることができていたはずである。 若菜には、そんな想いがあった。 無論そんな若菜の想いは、だが妙子が抱いている想いとまったく正反対なものである。 もし戦争がなかったら、妙子が護の傍に居続けることなど、出来ない話であっただろうから。 そしてもし戦争がなければ、妙子はまだしも、護が出会ってきた10人もの少女たちは彼と出会う事すらなかったかもしれない。 けれど、戦争があったがゆえの出会い、というものは、同時にひどく悲しいものでもある。 結局戦いは、悲しみしか生み出さないのかもしれない。 それを如実に表しているのが、やはり護と若菜なのだろう。 「ジオンと連邦、か・・・。超えられない、壁になっちゃうのかな。」 若菜の事を想うからこそ、なおさらそういう思いは強い。 「そう、でしょうか?」 そんな護に、若菜は切り出した。 彼女にしてみれば、それは極めて珍しい。いや、それどころか、彼女が護の言葉に疑問を持ったのは、その言葉を否定するような言葉を口にしたのは、もしかすると初めての事だったかもしれない。 それほどまでに、彼女の護への思いは強い。 強いからこそ、護のその言葉を、彼女は受け入れるわけにはいかなかった。 「連邦だとかジオンだとか、そんなことは関係ありません。あなたがジオンでも、私は・・・」 かつて、逆の立場で、同様の言葉を口にした女性がいた。 無論、その女性の事を、そしてその後その女性がどうなったかを、若菜と護は知らない。 もし知っていたなら、それは彼らにとって幾ばくかの救いになったのだろうか? 「そ、それにしてもさ、よくおじいさんが行かせてくれたよね、こんなところに。」 涙声の若菜に、護は慌てて話題を変えた。 が、とは言っては見るものの、若菜の祖父が味方である事は知っていたし、許可した、というよりもここに彼女をこさせた事自体がおそらく彼の差し金であろう事は薄薄感づいてはいた。 とは言っても立場というものがあれば、孫娘をジオンの元に嫁がせるなどということになれば、そう簡単に出来るものではない。 もっとも、その方法がまったくないわけでも、ないのだが。 護が"ジオンではなくなって"、"ティターンズがなくなり"さえすれば、後はどうにでも誤魔化せる。 それを知っているからこそ、若菜を行かせたというのが彼の真意なのだろう。 その方法を、護に伝えるために。 そしてそれを、若菜も知っている。 だから、彼女は護のそんな言葉に対して、こう切り出した。 「エゥーゴという組織を、ご存知ですか?」 「若菜さん、あいつに会えたかしらね。」 月のフォン・ブラウン。 窓の外に広がる空を眺めながら、金髪の女性がそう呟いた。 大人びた印象を受けるが、若菜や夏穂、そして何より護と、同じ年の、まだ少女である。 「会えたわよ。きっと。」 もう一人の少女が、それに相槌を打つ。 その言葉には、どこか諦めのような響きが含まれてもいた。 金髪の少女の名を遠藤晶、今一人の少女の名を、山本るりかという。 この二人の少女、そして若菜との間の接点はただ一つ、そう、護である。 この月の最大の都市であるフォン・ブラウン市のハイスクール。 そこで、彼女たちは出会った。 無論、その時彼女たちは、互いが、それぞれに思い寄せる少年と、関わりを持っていることなどは知りはしない。 晶に至っては護の"本当の名"すら、その時点では知らなかった。 やがて、それぞれの生い立ちを知るに連れ、若菜の婚約者だという少年の話から、晶とるりかは彼女たちが想いを寄せていた少年の、その素性を知ることとなる。 もっとも婚約者がいる、など問う話は別にして、るりかは少年の正体を知っていたのだが。 それを知るに至った悲しい話を、だがるりかは彼女たちに話してはいない。 晶の方には、るりかや若菜のような、込み入った事情も、悲しい過去もなかったが、だからといって、少年、すなわち護への想いが薄いというわけでもない。 人にはそれぞれ、思うところがあるのだから。 アナハイムの重役の娘である晶が、その少年と知り合ったのは、今からもう5年もほど前のことである。 終戦から半年、ジオンの拠点の一つでもあった月の都市群はまだまだ復興途中であり、アナハイム・エレクトロニクスが、ようやくその頭角をあらわし始めた、その頃である。 その出会いは、ある種の必然であったかもしれない。 当時、晶には一人の憧れていた女性がいた。 まだ学生ではあったが、美人で、頭の良い女性であった。 もっとも、"この手でいつかガンダムを造る"などという子供っぽい面もあった女性でもあったが。 そう言う子供っぽい面はさておき、いかにも"できる"女性然としたその姿は、また中学生になったばかりの晶にして見れば、確かに憧れの女性であったろう。 モビルスーツオタクとも言って良いその女性に連れられ、ジャンク屋の連なる下層部を訪れたのが、ラティオ・エヴィンと名乗るその少年との、出会いのきっかけであった。 無論、晶のような少女がいくような場所ではない。 が、どちらかといえば気が強く、好奇心旺盛だった少女にとって見れば、行くなと言われればなおさら行きたくなるものである。 晶にとって家庭教師代わりでもあったその女性も一緒であるのだから、社会勉強の一環でもある、そんな言い訳めいたものもあった。 もっとも、その当の女性には、とても晶には言えない、その場を訪れるもう一つの理由があったのだが。 そして晶もまた、その"もう一つの理由"によって、ここに通う日々が始まるのである。 「ジャンク屋の前で、Jrモビルスーツを動かしていた男の子がいた。私と同じぐらいの年なのに、見事なくらいね。でも、その表情は真剣そのものだった。憧れや興味本位でモビルスーツをいじっているって言う、そんな風じゃなかったのよね。」 不意に、晶がそう独り言を呟いた。 その時は、その少年がなぜそんなに真剣な目をしているのか、結局その理由を最後まで知ることはできなかった。 そのわけを知ったのは、若菜と出会ったからのことである。 「復讐・・・違うね。何もできなかった自分への、歯がゆさ。多分、そんなものがあったんだと思う。」 もちろん、その時の情景をるりかが知るはずはない。 だが、その時の護の気持ちは、るりかには良くわかった。 そしてるりかが言う通りなのだと、晶もそう思う。 「そういう人だからこそ、私たちが・・・」 そう晶が言いかけた時、机の上の電話が不意に鳴り出した。 「はい。私だけど・・・え?」 見る間に、晶の表情が変わって行く。 いい知らせではない、咄嗟に、るりかはそれを悟った。 「そう、わかったわ。とりあえず・・・ええ。お願いします。間に合わないかも、知れないけど・・・」 そう言うと晶は受話器を置き、るりかの方に向き直った。 「ティターンズが、動き出したわ。攻撃目標は、サイド1、30バンチ・・・」 その言葉に、思わずるりかは、息を呑んだ。 「どう、するの?」 そう自分で言いながら、るりかは言葉を詰まらせた。 彼女たちや若菜の祖父たちが関わる新しい組織、エゥーゴはまだ形すら出来上がってはいない。 どうするも何も、どうにもできないのが、実状なのだ。 「とにかく、できる限りの事をするしかないわね。もっとも今の私じゃあ、動かせるのは巡洋艦の一隻ぐらいだけど・・・」 普通に考えればそれだけでもすごい話ではあるのだが、戦争をやるとなればたかだか一隻では何もできないに等しい。 「でも、行くしかないよね。晶はここに残ってブレックス准将と連絡を取って。もしかしたら、援軍が見込めるかもしれないし。私は、若菜さんと護くんを、助けに行くから。」 助けに行く、と言っては見たものの、ほとんど死にに行くようなものかもしれない。 それをわかった上で、るりかはきっぱりとそう言いきってみせた。 「そう、ね・・・今はそれしかない、か・・・。」 だから、晶も覚悟を決めてみせる。 そして不意に表情をゆるめると、晶はこう言った。 「だったらついでに、"あれ"を持って行って。どうせはじめっから、あいつのために造ったんだから。」 一瞬、怪訝そうな表情を見せたるりかであったが、すぐにその言葉の意味を悟る。 「"あれ"、ね。」 「ええ。あいつのために作らせた、あの機体。若菜さんの、いえ、私の想いの詰まった、あの機体をね。・・・届かない想いだって、わかってはいるけど・・・。」 「彼のために、か・・・。よくそんな物を、造ったと思うわよ。」 ため息交じりにるりかはそう言うと、晶の方を見つめ返した。 「なぜ、みんな彼にそんなに固執するの?まあ、私に言えた義理じゃないかもしれないけど。」 みんな、とは言ってみたが、実際のところそれは若菜の祖父を含めた上層部の人間のことである。 若菜や晶の気持ちは、同じ立場にいるるりかにして見れば言わずと知れたことであるのだから。 もっとも、いかに想いを寄せているとはいえ、その為にMS一機を建造してしまうという思考は、少々理解しかねるが。 「若菜さんのおじいさんにしてみれば、色々と複雑なところがあるんじゃない?孫娘と彼を結び付けるために、言い訳が欲しいのよ。ティターンズが無くなって、そのことに彼が関わっていれば、色々周りに認めさせることもできるだろうし。もっとも、本音としては孫娘をくれてやる相手の、品定めってところなんでしょうけど。ま、どっちにしても私たちにとっては迷惑な話だけどね。」 「ほんとに、それだけの話?」 そういう話は、るりかとて知っている。 が、いかに綾崎老が孫娘を可愛がっているからといって、まさかほんとに、それだけの理由のために護を組織に招き入れようとは思わないだろう。 「・・・優秀なパイロットは、一人でも欲しいのよ。」 「それは、そうだけど・・・たかだかパイロット一人で戦局が変わるわけでもないでしょうに・・・それに、私が言うのもなんだけど、ほんとに彼にそんな素質があるの?」 「アムロ・レイ、赤い彗星、黒い三連星、青き巨星、ソロモンの悪夢、ソロモンの亡霊、赤い稲妻、そして・・・ソロモンの白狼。ま、確かに戦局を変えた、とまでは言えないかもしれないけど、その存在が戦いに多大な影響を与えたパイロットは、いくらでもいるわ。そして彼は・・・」 「白狼の血と志を継いでいるから?でも・・・」 それだけで、理由になりはしない。そんなるりかの気持ちを見透かしてか、一息つくと晶はこう切り出した。 「それに彼は、ニュータイプ、だから・・・」 「ニュータイプ?」 その言葉の意味するところは、今のるりかにはまだ良くわからなかった。 ニュータイプというその言葉は、戦後良く語られてはいたが、あまりに観念的すぎるその話は、多くの人々に理解されることはないまま、エスパー的なものという認識だけを与え、その本質とはかけ離れていきつつあった。 それがニュータイプの力を戦闘だけに転用するような強化人間のような技術を生み出し、やがてはニュータイプというものそのものが"パイロット特性のあるもの"という間違った認識に至るのである。 若菜はどこか直感的に、晶はその逆に理屈で、ニュータイプというものの本質を理解していたが、それがわからないるりかにしてみれば、結局優秀な一パイロットという認識から出ることはない。 そしてそれがわからないままに、るりかは港にたどり着いた。 そこには、一機のMSの姿があった。 白い、MSの・・・。 |