「ミハルちゃんがいなくなったぁ?」
それは、この年2つめの台風が、関東に上陸したその朝のことであった。
明け方いきなりかかってきた電話に、思わず葛城ミサトはそんな叫び声を上げる。
「ミハルちゃんが、どうかしたんですか?」
ミサトの大声に、シンジが台所から顔を覗かせる。
「何でもないわよ!アンタには関係ないの!!」
そう刺々しく怒鳴りかえしたのは当然ミサトではなく、アスカである。
「何だよ、なに怒ってんだよ。」
ミハルを心配するシンジに対して怒るアスカ、当然その真意にシンジが気づくはずもない。
「何だっていいでしょうが!とにかくアンタは早いとこ朝ご飯作っちゃいなさいよ!」
そんなシンジの鈍感さが、なおさらアスカを苛つかせる。
アスカにとって、最悪の目覚めの朝。
だがそれは、すべてのものにとっての、最悪の一日の幕開けでしか、なかった。
新世紀エヴァンゲリオン
Irregular Episode
Cain
〜鏡の中の絆〜
The girl who reflected in mirror,What is
your name?
−9−
「・・・シンジ、綾波さん・・・ちょっと、いい?」
ネルフ本部に駆けつけたシンジとレイに、そう話し掛けてきたのはミユキであった。
その顔は、心なしか青ざめているようにシンジには見えた。
いや、青ざめていたのは実はミユキだけではない。
レイもまた、その顔に動揺の色を浮かべていた。
元々色の白いレイが、更に顔色を失っている。シンジにすら、わかるほどに。
「なにを、したの。」
冷たく、冷静に、だが明らかにいつもとはまるで違う口調、焦りと感情のこもった声でレイはミユキを問いただす。
「それ、は・・・」
問い詰められ、ミユキはポツリ、と話しはじめた。
ミハルの身に秘められた秘密、自らの中にあるミハルへの嫉妬。そして、思わず漏らしてしまった、あの一言を。
◇
「そ、そんな・・・彼女が、使徒?」
そう驚きの声を漏らすシンジの横で、逆にレイはいつも通りの冷静な表情に戻りつつあった。
それはどこかで予想できる部分があったためであろろう。
だが、
「なんで、何でそんな事言ったの?」
『化け物』というその一言。
それはある意味レイにとっても、人事ではない。
だから、知らず知らずのうちに、口調が荒くなる。
同時に自らの心のうちの変化に、レイは違和感を感じ、軽い戸惑いを覚えていた。
確かに人事ではないかもれないが、ならば、自分が面と向かって『化け物』と呼ばれたとして、果たしは自分は痛痒に感じるのだろうか?
シンジあたりにでも言われれば、多少の衝撃もあるだろうか、それでもここまで動揺することはないだろう。
第一シンジがそんな事を言いはしない。
もっともそういう台詞を言いそうなのは、当然アスカであるわけなのだが、相手がアスカであるならそれこそ、レイが気に留めるような話ではない。
ミハルとミユキの関係と、レイとアスカの関係はまったく違うものかもしれないが、お互いにどこかで反目しあっている、問いう点だけは似通っている。
無論姉妹であるがゆえに、ミハルやミユキの場合はレイたちのように単純な話ではないが、そうやって傷付け合うようなことは、考えられない話でもない。
いつものレイであればそう考え、理屈として割り切って、そしてそこで終わりになってしまうような話である。
だが今レイは、確かに心のうちに軽い痛み、それもおそらくはミハルの受けた痛みを、そのまま感じることができていた。
はじめから使徒として生を受けた自分と、使徒とヒトの狭間で揺れ動いているミハル。
その差は、実のところ大きい。
そういう事が無意識化でわかっているから、ということもあるのだろうが、それでもそれは今までのレイなら考えられない話である。
が、それをシンジやミユキが気付くことはなかった。
けれど、そのレイの様子は、かえってシンジに冷静さを与えていた。
おかしなもので、同じ事態に直面しても自分よりも動揺している人間がいることで冷静さを取り戻す、といったようなことが人間にはままある。
ことに相手が幼なじみのミユキと、密かに淡い思いを抱いているレイであるなら、彼女たちを守ろう、あるいは安心させてあげよう、という意識が働いたということも考えられる。
普段は頼りない、といった感じのシンジであるが、やはり彼も男なのだ。
そして間違いなくシンジは、母ユイと、そして父ゲンドウの血をひいていた。
「大丈夫、問題無いよ。ぼくに、まかせて。」
そう言ったシンジの頭には、一人の少女の面影とともに、ある考えが浮かんでいた。
◇
「あらわれた、か。」
突如として鳴り響いた警報に、ポツリとリツコはそう呟いた。
今現在、事実を知っているのは自分と青葉だけである。
どこかにそういう意識があるから、呟きつつもあまり悲壮感や苦悩の様なものはそこには見られない。
たとえシンジたちが真実を知ったとて、それが事後のことであるなら、自分一人が悪人になれば済む話である。
その程度の割り切りができなければ”この後”のことなどとうてい考えることなどはできない。
「いつから、こんな人間になってしまったのかしらね。」
自嘲気味にそうリツコは呟くと、司令室へと向かうため立ち上がった。
◇
「あ、先輩。」
「リツコ、遅いわよ。」
遅れてきたリツコに、ミサトとマヤがそう声をかける。
青葉もちらりとこちらの方をかえりみたようであったが、直接声をかけるようなことはしなかった。
ただ、その表情にはどこか焦りや苛立ちのようなものが見える。
どこかで気付いているのだろう。
今、鳴っている警報の原因。
ネルフ施設内に突如として出現した”パターン青”。
、使徒、この間の使徒と、容姿こそまったく違えど同一の、その使徒の正体を。
けれどそれでも、戦わなければならない。
そんな青葉の気持ちに、無論気付かぬリツコではないが、あえてリツコは青葉のことを考えからはずした。
今ここでどんな言葉をかけたとて、それが彼にとって救いになるわけではない。
ましてや、唐突にそんな言動をとれば、それこそミサトやシンジたちにまで、事の真相を知られてしまう結果ともなりかねない。
そう考えながら司令室内を見渡したリツコの目に、シンジと、レイと、そしてミユキの姿が飛び込んできた。
◇
「山岸さんの時とは違うわ。彼女自身が使徒なのよ。」
シンジの考えを、そう言ってリツコは一蹴した。
ミユキから事の真相を聞かされたとき、、どこかでそんな風にシンジが考えていた。
使徒によってコアをその身のうちに埋め込まれた山岸マユミ。
彼女だって救うことができたのだから。きっとミハルだって・・・
だからこそ、レイや、ミユキに対してああも言えた、という側面がある。
だから、こうして思い切ってリツコに相談を持ち掛けてみた。
だが、
「じゃあ・・・じゃあ僕たちは・・・」
考えたくないこと、である。
シンジはゆっくりとレイとミユキの方を振り返った。
その様子に、ミユキは言いようの知れない不安をおぼえ、そしてレイは、すべてを悟っていた。
◇
そんなやり取りをしている間にも、使徒、いやミハルは徐々にセントラルドグマの方へ、歩みを進めていた。
その目的は勿論、地下に眠るアダムとの接触。
それが使徒としての本能によるものなのか、それとも、自らの正体を知ってしまったことからの、絶望からの行動であるのかは、リツコにも分からない。
が、ただ一つ、リツコが知ってることがある。
所詮は人の造り上げた使徒もどきのことであって、ミハルがアダムに接触したからとはいえ、サードインパクトは起きないであろうということ。
ましてや、そこにいるのが”アダム”ではなく”リリス”であると知っていれば尚のこと、そこに関しての危惧はない。
だからこそ、正体を知りつつそれでもミハルを施設内に留め置いたのである。
純粋に研究対象として、興味があった、ということもあっただろう。
その事実があるならば、実のところミハルを殲滅しなければならない必然はない。
だが、それをリツコは口にはできない。
使徒は殲滅せねばならない。
"彼"はきっとそう言うであろう。
すべての真相を、知っていながらも。
そして、"彼"がそれを告げてしまった以上、誰もそれに抗うことなどはできはしない。
真実を知り、その真実を盾にシンジがどれほど懇願したとしても。
その決定が覆ることがは、おそらくないだろう。
そしてそんなシンジやリツコの気持ちを知ってか知らずか、碇ゲンドウは冷たくこう言い放った。
「使徒を倒すのが我々の、そしてお前たちの仕事だ。わかっているな。」
それはある意味死刑宣告にも等しい。
「そんなこと・・・」
そう口を開きかけたシンジであったが、それ以上言葉は続かなかった。
込み上げてくる父への怒り、ミハルを救いたいという想い、それらが強く強く胸のうちで渦巻いている。
それでも、シンジは言葉を口にはできない。
いったとて、それで事態が変わるわけではないと、知っているから。
父に何を言っても無駄であると、わかっているから。
そのシンジの思いはリツコにも痛いほど良くわかった。
シンジより大人であるぶん、そう言ったことを割り切って行ってはいるが、だからといって全く良心の呵責を感じていないわけでもない。
ただ、ゲンドウへの複雑な想いが、そういう痛みを麻痺させているのにすぎないのだから。
そんな苦悩する二人の耳に、不意に一つの言葉が飛び込んできた。
「できません。」
そうきっぱりと言い切ったのは、レイであった。
「綾波・・・」
呟くシンジ、そしていくばくかの動揺を浮かべるゲンドウ。
「レイ・・・」
「私には、できません。」
意外といえば意外な、けれど当然といえば当然の言葉。
その言葉に、時が一瞬だけ、止まった。
◇
その言動が、何の解決にもならないのだということは、シンジにもレイにも良くわかっていた。
シンジやレイが出撃を拒否したとて、作戦は実行されてしまうのだから。
"彼女"の手によって。
「なによ、アタシ一人だけ悪役?」
憮然とした表情で、弐号機の中のアスカはそう呟いた。
エントリープラグ内には、出撃を拒否し、拘束されているシンジとレイの姿が映っている。
無論拘束、といってもミサトやリツコが側について、妙な行動、つまり作戦の妨害をさせないように見張っているに過ぎないのだが。
なぜ二人が出撃を拒否しているのか、その理由をアスカは知らない。
が、シンジだけならまだしも、レイまでもがそうするのであれば、そこによほどの理由があるのだろうことは想像できる。
おそらくは、あのミハルという少女がそこに関わっているのかもしれないということも。
今現れている使徒が、他ならぬミハル自身である、というのは、通常ならば想像の範疇の超えることなのかもしれないが、こういう光景があれば、どこか心の片隅ぐらいには、アスカにもそんな考えはある。
が、それでもアスカは出撃をすることに、そして使徒を殲滅することに躊躇はない。
そんな冷酷さ、そしてその裏にいくばくかの嫉妬が含まれていると、どこかで気付いているから、自ら"悪役"などと悪態をついてみたくなるのだろう。
そしてそこまでわかっていてもなお、自分を止めることができない。
だが、そんな気持ちを、シンジが気付くはずもない。
「やめてよアスカ!あの使徒は、あの使徒はミハルちゃんなんだ!」
その叫びに、青葉は思わず顔を伏せ、リツコは眉をひそめる。
ミサトと日向は驚いたような顔をリツコとシンジに向け、マヤは青葉に気遣うような視線を投げかけた。
そしてレイは、
「お願い、彼女を、助けて。」
だが、そんなレイとシンジの懇願に、アスカは何も答えない。
聞こえていないわけではない。
言っていることが理解できないわけでもない。
その言葉が確かに届いて、その意味が十二分に分かっているからこそ、アスカは苛立つ。
「冗談じゃないわよ。なんで、アタシが。・・・馬鹿シンジ。」
小さな小さな呟きは、誰の耳に届くこともなかった。
そして、
「アスカ、行きます。」
すべての雑念と、まとわりつく言葉を振り払うかのように、アスカはそう言い放った。
つづく
新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
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