「名取さん・・・」
戻ってきたシンジはレイとともにミハルの病室へと赴いた。
見たところ傷のようなものは見えず、リツコが言うには軽い貧血だろうとのことであった。
当然、事前に根回しはしており、輸血などは当の昔に済ませてあるから、シンジたちがそんなリツコの意見に疑問を持つようなことはない。
そのリツコは、先ほどまでこの病室にいたのだが、ついさっき、見舞いに来ていた青葉とともに、姿を消していた。
今ここにいるのはシンジとレイ、そしてミユキだけである。
心配そうにミハルを見つめるシンジの姿を、ミユキは複雑な気持ちで見つめていた。
いろいろとわだかまりはあるにせよ、血を分けた実の妹である。
死んで欲しい、などと不遜な事を思っていたわけではない。
けれど、この見舞いとてほとんど義理のようなものであって、自ら進んできたわけでもない。
そしてこうしてミハルを心配するシンジの姿を見ると、心が痛む。
ミハルなどいなければいいのに、という考えも頭を過ぎる。
それが嫉妬であり、醜い考えであると分かるから、余計にミユキの心は痛んだ。
そしてそういう思いを表に出せないからこそ、余計に辛い。
アスカのように強がっているとか、あるいは素直に感情を表せない、とかいうのではない。
幼いころから母親役を強いられてきたせいか、どこか自然に自分の気持ちを押さえてしまうような面があるのだ。
そんなことを考えるとなおさら、ミユキはミハルに対して複雑な思いを抱かざるをえない。
どんな事情があったのかは知らないが、母を一人占めしてきたミハルへの、嫉妬のようなもの。
だがそれが、ミハルにとっても同様なことであるということを、今のミユキは気付いてはいなかった。
新世紀エヴァンゲリオン
Irregular Episode
Cain
〜鏡の中の絆〜
The girl who reflected in mirror,What is
your name?
−8−
これ以上ここで、ミハルを気遣うシンジの姿を見ているのは、ミユキには耐えられなかった。
だから、黙ってミユキは病室をあとにした。
シンジに、気付かれないように。
病室、とは行ってもネルフの施設内のものであって、実のところ病院ではない。
それが彼女にとって新たな悲劇を招いた。
元々ネルフの施設というものは、ミサトでさえいまだに迷うほど複雑な構造をしている。
ここに来て日の浅い、ましてめったにここになど入らないミユキが、シンジやレイの案内なしで外に出ようというのは結構無謀である。
「迷っちゃった、みたいね。」
気付いたときにはもう、外どころか元の病室の位置さえ分からない。
「さて、どうするかな。」
まわりをぐるりと見渡して、ふと、ミユキは聞きなれた声が耳に飛び込んでくるのを捉えた、
「兄・・・さん?」
その声は確かに彼女の兄、青葉シゲルのものであった。
◇
「そんな・・・そんなことって・・・」
「でもこれが事実よ。」
青葉に向かって、リツコは冷たくそう言い放った。
「ミハルが・・・そんな・・・」
「彼女は、彼女自身が、使徒なのよ。」
リツコの話はこうであった。
双子や三つ子、と言った場合概して弱い子供が生まれてくる場合がある。
ミユキとミハルもまた、どちらかといえば体が弱い方であった。
それでも、ミユキの方はまだ健康であったが、ミハルの方は、放っておけばおそらく五歳までも生きられないであろう、とそう言われていた。
セカンドインパクトの直後で、食糧難だったせいもある。
だから、シゲルたちの父は禁断の秘法に手を染めたのだ。
「使徒の持つ強靭な生命力を利用しようとした。研究自体は随分前から私の母が行っていたみたいだけどね。」
「赤木、ナオコ博士が?」
「ええ。セカンドインパクト前に偶然採取された使徒と、自分の子を、実験台にしてね、」
「自分の、子って・・・」
驚きを隠せない表情で、思わず青葉はリツコの顔を見た。
「残念ながら、私ではないわ。私の、父親違いの弟よ。」
それがカヲル、という名であることを、もちろん青葉は知らない。
後に渚カヲルが現われたあの時、リツコは一目でその正体を見破ったが、それにはこんなわけがあったのだろう。
「私の弟の場合はね、使徒そのものが人に寄生するような、そんなタイプだっだ。おそらくそれを応用して、その使徒の細胞組織かなんかを、ミハルちゃんの中に埋め込んだんでしょうね。あなたのお父様は。」
無論それは許されざることである。
人としても、ネルフという組織の一員としても。
だからこそ、青葉の父はミハルを、母ともどもネルフの手から遠ざけたのだ。
リツコとてその事実を知ったのは、つい最近のことである。
だから初め、ミユキかミハルか、計り兼ねていたのだ。
今、ミハルが第三新東京市に来たのはリツコにとっての幸運な偶然であった。
母を亡くし、身寄りを失ったミハルは、なにかに引かれるようにこの街へと来た。
ネルフの地下に眠るリリスの力、それがミハルを呼び寄せ、そしてミハルの中の使徒の”血”を呼び起こしたなどということは、リツコすらも知らない。
ただ一つ、今のリツコに分かったことがあったとするならば。
「目覚めてしまった以上、このままにしては置けないわね。」
それが残酷な結末を示していると知りながら、あくまで冷静にリツコはそう呟いた。
◇
どうしたいいのかわからなくて、とにかくミユキは走った。
双子として生を受けながら、ほんの少しの運命の差で、過酷な定めを負ってしまった妹。
そして再び病室の前へと彼女は戻った。
その秘密を、一人で抱えるのはあまりに重過ぎたから。
シンジなら力になってくれるかもしれない、そんな想いが心の片隅にあったのかもしれない。
だが、そこでミユキがみたものは・・・
◇
いつのまにか、ミユキがその姿を消していたことには、シンジも随分前から気付いていたのだが、今のシンジには、ミユキを気遣ってやれるだけの余裕はなかった。
それは、傍らに立つレイのせいであろう。
明らかに今のレイは、動揺していた。
ミハルのことを心配している、ミハルのことで動揺している、というのは端で見ているシンジには分かっても、当のレイ自体には分かってはいない。
何に動揺しているのか、その元すら分からないから、なおさら不安な気持ちに陥るのだ、
「わからないの、自分の心が。何故こんな、気持ちになるのか。」
シンジに寄りかかり、そう呟くレイの姿はいつもと違い、小さく、か弱くシンジの目に映った。
そんなレイの肩を、シンジは優しく抱きしめる。
「綾波は、好きなんだよ、名取さんのことが。きっと。」
「好き・・・どうして?どうして人を好きになると、心が痛くなるの?」
そんな素朴な疑問に、シンジには答えるすべはなかった。
言葉が、思い付かなかった。
だから、
「綾波・・・」
「・・・碇くん。」
なにがそうさせたのか、それは誰にもわからない。
ただ自然と、お互いの顔が近づいて行く。
その行為に、いかなる意味があるのかおそらくレイは知らないだろう。
シンジとて、なぜ自分がこんなことをしているかは、おそらく分かってはいない。
ただ、そうすることでレイは、いやシンジも、どこか心が休まるような、そんな気持ちがしていた。
しばし唇を重ねあった後、ようやく少し落ち着きを取り戻したのか、いつものようなまっすぐな赤い瞳で、レイはシンジを見つめた。
「ありがとう、碇くん。」
「・・・うん。」
それから先は言葉はなく、もう一度二人は、唇を重ねあった。
その様子を、見つめる瞳があることになど、まるで気付かずに。
◇
「やるわねえ、二人とも。アスカにばれたら大変よぉ。」
「悪趣味よ、ミサト。」
「不潔。」
「なによ二人とも、あんたたちだって見てたじゃないの。」
先の青葉との会話など忘れ、リツコが冷たい目でミサトをにらんだ。
その会話を、ミユキが聞いていたなどということに、気付くこともなく。
そして病室のシンジたちの様子もまた、ミユキはその目にしていた。
◇
物陰に身を隠し、シンジとレイが去るのを待ってミユキは再び病室に足を踏み入れた。
「私はこの子が嫌い、私から、母さんを奪っていったこの子が、そしてシンジを奪おうとするあの子も・・・。あの子と親しくするこの子も・・・」
眠っているミハルを見下ろし、そう呟く。
それは彼女の本心ではない。けれど、
「・・・あんたなんて・・・。・・・化け物のくせに。」
ふと、そんな言葉が彼女の口から漏れた。
その言葉が、自分でもあまりに醜く聞こえて、思わずミユキは口をふさいだ。
そして、同時に罪悪感が彼女の中に湧きあがってきていた。
そんな気持ちに耐え切れず、ミユキは病室を走り出た。
その後には、ただミハルだけが、残された。
「化け物、か・・・」
眠っていたはずのミハルは、そういって静かに目を開けた。
その目には、うっすらと涙が、浮かんでいた。
つづく
新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
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