「それにしても・・・」 街の中心部に出た護は、そのにぎやかさに目を丸くしていた。 無論、ここ5年の間に地球圏のあちこちを渡り歩いていた、というのを差し引いたとしても、スウィート・ウォーターだけでずっと暮らしてきたわけではないから、こういう状況を知らない、というわけでもない。 だが、同じ様に連邦に異を唱えるものの集まりでありながら、こことスウィート・ウォーターでは明らかに違っていた。 もちろん、旧ジオンの敗残兵が多くいるスウィートウォーターと、反政府運動、と言ってもまだまだ平和的な空気の流れるここと一緒にできるはずもないのだが、それでも、ほとんどスラム街としか思えないようなスウィート・ウォーターのことを思うと、そこにはなにか、不条理なものさえ感じられた。 が、戦争というものはそもそもが不条理なものなのだ。 その不条理さの結果が護であり、妙子であり、結局5年も護と引き離されなければならなかったかの少女であり、あるいは、かつてソロモンで護が出会った一人の少女であり、また、今、護がいるこの同じに地足を下ろす、一人の、少女兵なのであった。 その少女兵のことを、護は、知っていた。 その少女の名は、松岡千恵と、いう。 第三話 『運命の渦』 『色々とさ、僕にだって事情があるんだよ・・・。戦争がなければ、ね。ここにいられたかもしれないけど・・・』 別れの際に少年が残したその言葉は、後の千恵の人生に大きな影響を与えることとなる。 幼い頃から音楽に憧れ、いつか必ずその道に進もうと思った少女の淡い願いは、だが、一年戦争という名の悪夢によって無残にも打ち砕かれた。 彼女たち家族がその時暮らしていたのは、地球、オーストラリアにある最大の都市、シドニーであった。 そのシドニーは、コロニー落としという人類史上最大の暴挙によって、地球上からその姿を消すこととなる。 彼女の、家族と共に。 たまたま出かけていた彼女だけが助かり、そして連邦政府に保護され、戦後宇宙における連邦のお膝元と言ってもよい、サイド7で、暮らすこととなったのである。 しばらくは、連邦の基地の街の中とはいえ、平穏な暮らしが彼女にも訪れた。 その暮らしを変えたのが、護、千恵にとってはラティオ・エヴィンという、その少年であった。 同い年のはずなのに、どこか大人びた、どこかに影のある、けれど、普段はそれを表に出そうとしない、明るい少年。 そんな不思議な少年に、千恵は次第に引かれていった。 もっとも、いかにも少女的な性格、というのとこの千恵という少女は程遠く、どちらかというと姉御肌、というか男っぽい性格であったから、そんな自分の中の想いを認めることも、当然、護に告げるというようなこともなく、しばらく、二人の時間は過ぎていった。 それが一変したのは、0083の、とある日のことである。 連邦のお膝元、基地の街、とはいっても、元々は、ある意味この地から連邦の反撃が始まった、ということからただそう呼ばれていただけのことであった。 ここはサイド3から最も遠くに位置しており、そのために、戦時中、連邦の秘密兵器がここに極秘に運び込まれることとなったのである。 が、その連邦の動きはジオンに察知され、工作員がこのコロニーに潜入するという事件が起きたのだが、それこそが、皮肉にも連邦の反撃のきっかけとなった。 引き起こされた混乱の中、一人の民間人の少年が連邦の秘密兵器を操り、ジオンを撃退してみせた。 その少年こそが、後に一年戦争が生み出すことになる、最大の英雄だったである。 そういう逸話があれば、どこか連邦の中でこのサイド7が聖地化されるような向きもあったのだが、あくまで象徴的なものでしかなく、他のサイドに比べてよそ者、ことにサイド3出身者などが迫害されるとか、そういうことはなかった。 宇宙世紀0083の、あの事件が起きるまでは。 事件自体が、なにかを引き起こしたわけではない。 問題は、事件のその後、である。 その事件により、異常なまでに危機感を募らせた連邦政府は、連邦軍内に”ジオン残党狩り"を名目とする特殊部隊を設立させた。 この部隊こそ、今悪名を轟かせ、反地球連邦運動を引き起こさせるきっかけともなった、件の部隊"ティターンズ"である。 ジオンの、それもマツナガ家の血を引く護にとって、そのような部隊ができた事自体そもそも問題であったのだが、あろうことか、その部隊は自らの拠点をサイド7に定めたのである。 もちろん理由なくそうしたわけではない。 前述の逸話もさる事ながら、最も新しいサイドであったサイド7は、一年戦争時にはまだ1号コロニーのみが存在する、未完成のサイドであった。 当然、戦争が終わればコロニーの建造が再開されることになるのだが、それが、彼らにとっては都合がよかったのである。 つまり、圧力をかけて軍事基地として建造を開始したのであった。 事実、現在建造中の2号コロニー。"グリーンノア2"などは完全にティターンズの基地であり、民間人などは立ち入ることすら許されていない。 そういった理由はともかく、なんにせよ護がこれ以上この地にとどまることができないということは、明白であった。 そして、はじめにあったあの台詞と共に、護は千恵の前を去ったのである。 だが、そのことが千恵に与えた影響は、護の想いとはまったく正反対のものであった。 そもそも戦争で家族を失った千恵にとって、ジオンは憎むべき敵であった。 コロニーが空から落ちてきたあの瞬間、空が落ちてくるような、あの光景は、忘れられるものではない。 それがあれば、激しくジオンを憎む気持ちを、護とて分からないわけではなかった。 だから当然、彼女は護の正体も、知らない。 そして、護がこの地を去る原因が戦争だと、そう言われれば、彼女の中のジオンへの憎しみは更に募ることとなる。 その結果、彼女はあろうことか、連邦軍、そして、ティターンズへの入隊を希望したのである。 松岡千恵、15歳のときのことであった。 −同刻、地球、北米− 「マナ・・・ミ?」 一人の少女が、もの憂げな表情で、空を見上げていた。 「なにか・・・見えるの?」 その少女に、同じぐらいの年頃の、もう一人の少女がそう言って近づいてきた。 宇宙時代になって、ましてや宇宙戦争などというものがあれば、見上げた空になにかが見えるようなことが合っても不思議ではない。 とは言うものの、何もなく空を見上げている少女の姿、というのは、通常、やはり"妙"と言わざるを得ない。 が、この空を見上げている"杉原真奈美"という少女のことをよく知っていれば、それは妙なことでも何でもないことであった。 そして、今真奈美に問い掛けたもう一人の少女、ベルトーチカ・イルマは、この少女のことも、少女が持っている能力のことを、よく、とは言わないまでも、それなりには、知っていた。 だから、尋ねているのである。 真奈美の横顔が、なにか、良くないものを見つけたような、そんな表情に見えたからである。 「何かが、起きるのね。・・・まさか、また・・・空が落ちるなんて、ことは・・・」 ベルトーチカもまた、千恵同様コロニー落としを体験した身である。 そして、今彼女たちが立つ北米の大地にもまた、数年前にコロニーが落とされていた。 千恵やベルトーチカたちが体験したのは、戦争のときの、ジオン軍の作戦によるものである。 本来なら、連邦の拠点であるジャブローに向けて落とされたコロニーが、連邦の必死の抵抗により四散、結果、飛び散った破片の内もっとも大きなものがシドニーに落下してしまったのが事の顛末であった。 が、今彼女たちのいるこの地に落ちたコロニーは、戦争によるものではなく、戦火で傷ついたコロニーを修理のために移送している途中での、事故によるものであった。 少なくとも、表向きはそう発表されていた。 だが、誰一人としてそんな欺瞞に満ちた発表を信じるものなどはいなかった。 ベルトーチカもその一人である。 一学生に過ぎない彼女ではあったが、彼女とてコロニー落としを実体験として知っていれば、どこか他人事とは言えない向きもあったし、大体、コロニーなど不注意や事故で早々落ちてくるようなものではない。 本来そんなことなど、あってはならないのだ。 だから、何が分かるのかは本人にも分からなかったが、とにもかくにも、彼女はこの地を訪れていたのである。 なにかを、確かめるために。 そこで彼女が出会ったのがこの真奈美であった。 父親が政府の高官であり、その仕事の関係で今は家族と共にここに移り住んでいるのだという。 以前彼女はサイド2のアメリアというコロニーに住んでいたのだが、そこが、戦争によって深く傷ついた所為も、あったと、彼女は言う。 もっとも実際は、スペースノイドを擁護する立場にあった父が、中央に疎まれ、飛ばされた、というのが正しいところなのだが。 でなければ"北米"などという、"辺鄙なところ"になど、来るはずもないのである。 もっとも、地球偏重主義の政府高官に言わせれば、サイド2などという宇宙に浮かぶ"孤島"などよりは、地球である分遥かにマシだ、という事になるのだろうが。 真奈美という少女は、どちらかといえば病弱なタイプで、本来ならば"こんな辺鄙なところ"などではなくもっと環境の良いところで静養させたい、というのが両親の希望であったのだが、コロニーが落ちたというその地に何かを感じたのか、自ら望んでこの地に来ていた。 そういう、なにかを感じられるような、そういう少女なのだ。 それが、"ニュータイプ"と呼ばれる人たちの持つ力なのだということを、この時ベルトーチカも真奈美もまだ知らない。 真奈美にしてみれば、"コロニーの落ちた地"というその響きが、どこか宇宙(そら)を近くに感じられるような、そんな気がしていたからに過ぎないと、自分自身の中で、思っていただけなのだから。 密かに想いを寄せる、あの少年のいる、宇宙(そら)に。 真奈美がその少年、ラティオ・エヴィンと出会ったのは、戦後まもなく、まだ、彼女たちがサイド2にいた頃のことである。 わずか半年ほどの触れ合いでしかなったが外の世界をあまりに知らなすぎた真奈美にしてみれば、その少年の存在が深く心に残るのは至極当然な事であった。 ラティオ−護とて、人生経験が豊富であったわけではないが、戦争というこの状況の、ある意味中心に近い場所にいて、しかもこの幼い年で、ただ1人連邦の眼を逃れて生きていかなければならないという状況にあれば、少なくとも同じくらいの年頃の子供たちと同じ、という事はない。 そしてその過酷な状況に恨みつらみを言う事もなく、前向きに生きていこうとしていたのが、護という少年であった。 そういう少年に、真奈美のような優しく、感受性の強い少女がひかれたのは、無理もない。 戦争という状況に、お互い傷つき、そんな心が、何故だか分かる様な気がしていたから、それはなおさらのことだったであろう。 その半年は、真奈美にとってこれ以上ない幸せな時間であったかもしれない。 だが、そんな時間が永遠に続くはずもなかった。 状況が、それを許してくれなかった。 結局、それぞれに逃れられない運命を抱えた二人は、まもなくして、アメリアの地を離れる事となる。 そしてそれ以来、真奈美と護は会っていない。 それでも、真奈美の心の中には、いつもあの少年の姿があった。 いや、本人は自覚していないが、護の存在を、常に感じる事が出来ていた、と言っても良い。 だからこそ、感じるのだ。 今まさに、その少年の身に、何かよからぬ事が起きようとしているのだと、言う事が。 だが、それが分かっても、今の真奈美には、何もする事は出来ない。 真奈美と、ベルトーチカの、二人には。 「あの少尉さんたちなら、何とかしてくれるかな?」 そんな真奈美の心を見越してか、ふと、ベルトーチカがそんな呟きを漏らす。 彼女の言う"あの少尉さん"とはこのほど近くにある連邦の基地で、彼女たちがであった一人の軍人の事であった。 どこか"いいとこのお坊ちゃん"然とした人の良さと、ある種の頼りなさのようなものを漂わせながら、だが、どこかに影というか、憂いのようなものがある、不思議な青年であった。 そして、今の連邦、いや、ティターンズのやり方をよしと思っていない、そんな一人でもあった。 だからこそ、である。 今、宇宙(そら)で何かを起こす輩がいるとするなら、それはジオンなどではなくティターンズである、ベルトーチカの脳裏には、そんな考えが、強くあったのだから。 そしてその直感は、正しい。 「とにかく、行ってみましょう。」 あれこれ考えるよりまず行動を、そんな性格のベルトーチカであったから、真奈美の返事も聞かずに、彼女の手を強引に引くと、基地の方へと歩き始めた。 そこに、ベルトーチカにとって、人生を大きく変える、そんな出会いが待ち受けていることなどとその時の彼女はまだ、知らなかった。 |