「ブレックス准将。」 不意に、見知らぬ男の声が食堂に響いた。 連邦の制服に身を包んだその男に、食堂にいた一同は、とりわけコウ・ウラキは強い関心を引かれた。 ジオンだ連邦だといったところで、同じ地球人である事に違いはない。 異星人でもなければ別の生態系の生き物でもないわけだし、連邦の人間だから善人だというわけでも、ジオンだから悪というわけでもない。 見た目はおろか、中身を含めても、そこに差などはなければ、直接顔を知るものでない限り、その人間が連邦かジオンであるか、判断などはつくはずもない。 事実、二年前のあの日、コウは"あの男"の正体を、見抜けなかった。 そこから始まった一連の事件の中でコウが成長したという事はあったし、また、ブレックスを取り巻く現状というのも知らないわけではなかったが、それでも、入ってきたその男が瞬時にジオンの人間であると分かったのは、ある意味コウ自身にとっても驚きであった。 だが、その直感が正しいという確信は、何故か持てた。 もっとも、さすがに、そのクワトロ・バジーナと名乗ったその男の、もう一つの名にまでは、思い至る事はなかったが。 第六話 『ペガサスの羽ばたくとき』 クワトロと名乗った男は、一人の少女を伴っていた。 その少女に、ブレックスすら、見覚えはない。 「クワトロ大尉・・・その少女は?」 「我々の同士、ですよ。」 ブレックスの問いに、クワトロはそう曖昧に答えた。 その答えに、ブレックスは一瞬怪訝そうな顔を見せたが、それ以上問い返そうとはしなかった。 ブレックスにとって今重要なのは、その少女の素性よりも、その少女がもたらした、情報の方だったからである。 それは、コジマ以下オークリー基地の面々、そして、真奈美にとっても同じであった。 ただ一人、ベルトーチカだけが、ナナイ・ミゲルと名乗ったこの少女に、何か、言い様の知れない不安、あるいは予感ようなものを、抱いていた。 それがなんであるか彼女が知るのは、今、この時より10年近くも先のこととなる。 ナナイ・ミゲルが見たもの、それは同じ北米、オーガスタにある連邦軍の基地から打ち上げられた、数機のシャトルであった。 オーガスタ近郊に住む民間人、ナナイは自分のことをそう言ったが、クワトロはそれを信じなかった。 あそこには連邦のニュータイプ研究所があったし、ナナイの感性を見れば、そこと何らかの関係があると考えた方が自然だからである。 でなければ、たかがシャトルの打ち上げ程度になにかを感じることはないだろうし、それを、遠くはなれたオークリーまで伝えに来るなどということは考えられない。 真奈美や自分のような存在を感じたからここに引き寄せられた、それが自然なことである。彼女がニュータイプであるなら。 だが、そんな様々な想いをクワトロは口にはしなかった。 先のブレックスの反応同様、今はそれよりもっと重要なことが、あったからである。 「あそこには確か、南極条約で・・・」 コウたちとともにいたメカニック風の女性−モーラ・バシット−がそう重い口を開いた。 一年戦争の際、核や化学兵器などの使用を制限した戦時条約が、連邦とジオンの間に結ばれた。 それが南極条約である。 それは、人類滅亡という危機感を感じた両陣営が結んだもの、というよりは、様々な要因による混乱の中でとりあえず結ばれたものではあったが、結果的には、より悲惨な結末を回避することは出来たし、それゆえ、戦後もその条約は生きていた。 とはいえ、そんな条約があって、危険な兵器の仕様が禁止されたとはいっても、それらがこの世からなくなったわけではない。 今もまだ、それは世界のどこかにあるのだ。 そして、その一つがオーガスタ基地にあるという話は、公然の秘密であった。 それだけでも普通の人にとっては重い話であるのだが、コウやキース、モーラ、そしてここにいるもう一人の女性、ニナ・パープルトンにとっては、それは更に、重い響きを持っていた。 それは、2年前のあの事件を、思い起こさせるからである。 2年前、コウたちのいた基地からジオンの残党によって奪取された一機のガンダム、そして、"核”のことを。 もっともオーガスタ基地にあるのは"核"ではなかったが。 「G3ガス・・・か・・・。」 ブレックスがそう呟いた。 いわゆる毒ガスであり、核同様旧世紀からの負の遺産の一つである。 ただし、宇宙時代になり、コロニーという密閉された生活空間が登場することにより、その凶悪さは旧世紀と比べて遥かに増していた。 そして実際、ジオンはそれを実証している。 そのG3が宇宙に運ばれる−実際その論拠はどこにもないのだが、それに対して誰も異論を唱えることはない−ということが、一年戦争の悲劇の再現を示しているということはだれしも容易に想像できた。 「けっきょく、皆同じなんですよね。ジオンも、連邦も。」 ありったけの嫌悪感を込め、ナナイはそう言い捨てた。 誰も、そのナナイの意見に反論することも出来ない。 ただ一人、ベルトーチカを、除いては。 「同じじゃないわ。ティターンズなんかと、一緒にしないで!」 そう叫んだベルトーチカに、ナナイは何も言わず彼女の方をちらりと見ただけであった。 10代ぐらいの少女たちの、少女たちゆえの感性の差。 それを、ブレックスたちは別段気にも留めなかった。 大人の世界の、汚い裏側。 彼女たちの考えは違えど、それはそんなものへの反発がもたらしたものだと、そう分かるからである。 そうさせてしまっているのが、他ならぬ自分たちであるということも。 ただ、この時点では些細でしかないその考え方の差が、およそ10年の後、決定的な差として現れることを、クワトロが予見できなかったのは、ある意味、彼の責任であるのかもしれない。 無論、それを責められるものは、いはしないのだが。 「どうやら、黙っているわけにはいかんようだな。そんな話を、聞かされては。」 ため息交じりに、コジマはそう呟いた。 別に、青臭い正義感を振りかざしたいわけではない。 そういうのは、自分の柄ではないと、そうも思う。 だが、罪のない多くの人が死に至らしめられる。 それを、黙って見過ごすことが出来ないのも、また事実であった。 そしてそれは、コウやキースたちも、同じである。 決意を秘めた瞳で、コウはコジマの方を見つめ返していた。 横に立つニナが浮かべている、複雑な表情には、気付くこともなく。 「我々としても・・・」 一緒に戦ってくれる味方が増えるのは喜ばしい、コウたちの態度にそうクワトロが切り出そうとした、ちょうどその頃・・・、 「いいのでしょうか、本当に?」 オークリー基地から離れることわずか数キロ。 既に展開を終えた部隊を前に、若いその仕官は上官である司令官に向かってそう尋ねた。 訓練のための部隊配備ではない、実戦が、これから行われよとしていた。 ただし、その相手は友軍であるのだが。 だからであろう、若いその仕官の言葉には明らかに躊躇する向きがあった。 だが、それに対し初老の司令官は迷いもせずにこう言いきった。 「反逆者をかくまっているのは確かだ。ジオンの息の掛かった連中がいるのもな。こういうやつらをのさばらせておいては、バスク大佐に申しわけがたたんのだよ。」 「しかし、あの基地には・・・"あれ"は連邦にとって・・・」 「ペガサス級もガンダムも、連邦にとっては厄介ものだ。一年戦争の頃から、そうだったではないか。」 そう言い放つと、司令官は静かに、攻撃命令を下した。 「意外に、少なかったな。」 突如として浴びせられた砲撃の中、毛ほどの焦りも見せずにクワトロはそう言いきった。 見える範囲で確認できたのはビッグトレー級陸戦艇が3機。それに、ジムが10数機。 クワトロ・バジーナ、いや、"シャア・アズナブル"にとって見れば、それは確かに、物足りないぐらいであったかもしれない。 「少ないって・・・」 クワトロにしてみれば、物足りない、とか、予想より少ないという考えがあっても、コウたちにすればいきなりのこの状況というのは納得がいくものではない。 そんなコウの驚きを、だがブレックスの言葉が遮る。 「やはり連中、宇宙(そら)でなにかをしようとしているらしいな。こんなところに過剰な戦力をまわす余裕はない、という事だ。」 「なるほど、幸運だった、というわけですか、我々は。」 コウたちにしてみれば不運極まりないところであるが、既に覚悟は決めているのだ、そうであるなら、出来ることはもう一つしかない。 「結局、おまえさんの目論見通りか。」 苦笑いを浮かべながらのコジマの言葉が、そのすべてを表していた。 「連中が与えてくれた戦力がどれほど当てになるかは分からん。きちんと整備されているかどうかも怪しいもんだ・・・だが、それでも我々には一機でも戦力が欲しいからな。クワトロ大尉、それにウラキ少尉にキース少尉、私の後に、ついてきたまえ。」 おもむろにコジマは立ち上がると、パイロットたちに向かってそう言い放った。 そして。 「基地司令のコジマである。現在、我が軍はティターンズの攻撃を受けている。不定の輩とはいえ、友軍であることは違いない。強制はしない。命が惜しいものは投降しろ。だが、もし、戦う意志があるなら・・・」 コジマはマイクに向かうと、基地内の全兵士に向かってそう呼びかけた。 その結果がどうなるか、コジマにははじめから分かっていた。 警告も何もなしに攻撃をしてくるような連中である、投降したとておそらく受け入れてくれるとは思えない。 そして,この基地にいる人間は、ティターンズがそういう組織であると、良く知っているものたちばかりだ。 結果など、推察するまでもなかった。 その後、コジマは回線を切りかえると、地下格納庫にいるクルーに向かって命令を伝えた。 「既にクルーが配備させれているとは、ずいぶん用意がいいじゃないか。」 皮肉交じりにそういったブレックスの言葉に、コジマはあえて何も答えず、 「アルビオン、いつでも発進できるようにしておけ!」 その名を聞いたとき、コウとキースは驚きを隠すことが出来なかった。 「アルビオンが・・・こんなところにあるなんて・・・」 地下格納庫に向かいながら、まだ驚き覚めやらぬ口調で、コウがそう呟いた。 だが、それに対するコジマの返答は、さらにコウを驚かせた。 「アルビオンだけじゃない、ガンダム3号機も、だ。もっとも、何とかいうあの拠点防衛用の巨大な装備はないがな。ま、あったとしても地上じゃあんなもんは運用できんだろうが。」 「何で・・・」 驚いて声も出ないコウに代って、キースがそう聞き返す。 そのキースさえ、そう口にするのがやっとであった。 「連中が何だってここにこんなもんをおいてくれたか、その意図はわしにも分からんよ。反乱を煽るため、にしてはちょっと豪華すぎる装備だからな。もっとも、連中の方はステイメンもアルビオンももはや過去の遺物、おそるるに足らんとでも思っとるのかも知れんがな。」 が、おそらくこんな仕打ちをしたのは連邦政府の、ティターンズに尻尾を振っている政治家連中なのだろうという思いが、コジマやクワトロの中にはあった。 反乱を煽らせるためだけに配置した駒、それが如何に危険な駒であるのか、彼らは知ってはいないのだ。 ペガサス級、ガンダムというその名が、あってさえ。 もし、ジャミトフやバスクがこの件について直接指示をしていれば、こんなことにはなっていないはずである。 それは、今のティターンズがまだ組織として完成しておらず、それゆえ、まだ付け込む隙があることを、そしてブレックスやクワトロたちにとって明らかに救いになっていることを示している。 「今だけは、ありがいものだな。官僚どもの、無能さが。」 苦笑を浮かべながらのクワトロのその呟きが、そのすべてを物語っていた。 |